川柳さくらぎ鑑賞句
 

           「さくらぎ」の第一雑詠〈縁江集〉からの一句評です…
18・19号より 避難所を想い静かに米を研ぐ 高斎ゆみこ

地震後の一句。被災地から離れていても同胞への心の距離が近づいている。当り前のはずの今日の糧の準備にも、被災者の翳が寄っている。

18・19号より 優しさをやっと繕う蕪汁 牧内ヨシ江

震災前の句だが、温かい食べ物が渡るらない状況を目にするにつけ、句の別の側面が大きくなる。鑑賞の気分によって句の内容が変わってしまう。

18・19号より 潔さ冷蔵庫には在庫ゼロ 小田 由実

これも震災前の一句。被災を免れた首都圏でも、食料や日常品の買い漁りが続いている。震災後見直した中で急に共感を大きくしてしまった。

17号より 身の丈を越えると飛んでくる吹矢 島崎 穂花

身の丈や分をわきまえた生き方ばかりなら、波乱も心の撹乱もないが、たった一歩踏み出すと状況は変わる。ヒトも国も同じ。三毒に起因する。

17号より 無洗米子供に見せる背ながない 橋本 祐子

文明とか便利とかいう麗句は、ニンゲンの本質を忘れさせてしまう魔力がある。時代の希薄な親子関係を象徴的に描き出した無洗米への目が深い。

17号より 思いやり独り善がりな月明かり 齊木美佐緒

自らが「思いやり」なんて思うこと自体、根は独り善がりから。その事にフト気付いた月明かりもまた、陽の光を反射している虚構にすぎぬと…。

16号より 水族館ウツボの躁と取り替える 小田 由実

ウツボの顔や姿を見て「躁」と見て取ったのは作者自身だが。全ての対象は、観察者の照射により感じられる。句に現れるのは、作者の照射結果だ。

16号より 両刀で斬られてみたい熱帯魚 平井ヒロユキ

熱帯魚の豊かな色や上品な動きに美を感じるのは人間の勝手。そんな概念に馴らされたら、一刀両断どころでなく滅多切りにして中を見て欲しい。

16号より 天井はもとより見ない大衆魚 高斎ゆみこ

大衆魚のレッテルは、魚の個性や味をなどお構いなく他人により貼られたもの。本より大衆魚の誇りは、そんな外部の価値観などに左右されない。

15号より 局面でちょっと見栄張る躾糸   牧内ヨシ江

人生の局面には、そのニンゲンが辿った経験の中で親や師から学んだ人の在り様が顔を出し脱線を免れる。その躾糸の誇りは、綻びることがない。

15号より 追い追いに帳尻は合う日向水  橋本 祐子

世の理不尽は、歳を重ねるごとに目につくようになる。ある人は対決し、ある人は逃れる。いずれにせよ、一生というモノサシで帳尻は合ってくる。

15号より 客待ちの顔で雑誌がある医院  森下 みえ

「医は仁術なり」とは、貝原益軒の「養生訓」で有名だが、中国の古典にもにもある古事。だが近頃は、患者を「お客様」として迎える向きも…。

14号より 横文字をすらっと読んで認知症 高齋ゆみこ

高齢化社会が取沙汰されて久しい昨今、認知症も他人事ではない。過去に生きる事を選んだ脳を「すらっと」読んだ現実のアイロニーは怖くもある。

14号より 核をうったえ猫の座布団裏返す 平井ヒロユキ

オバマ登場以来、終末時計はやや針を戻したが、核を持ち続ける大国のエゴ、核を迷信する遅れた国の狂気には、猫をいじる程度の事しか術がない。

14号より アナログに定年のあるはずがない 渡辺 好文

直裁な一句一章の作品。デジタル時代を迎えてもアナログのもつ切り口は捨てられないし、ましてや、アナログ人間たる我に定年があってたまるか。

13号より よく噛めばウサギもカメも味がある 渡辺 好文

「ウサギとカメ」の話に盛られたうすっぺらいモラルなんて…、よく噛んでこそホントウの姿が明かされる。既成概念への警鐘は、川柳的視点。

13号より 爆弾をいつも抱えて来るお福 小田 由実

「お福」には時事的な話題もあったが、それを離れて「福」のイメージと「爆弾」の取合せがイロニカルなユーモアを。前風景と後景のミスマッチ。

13号より 引き合いにピカソばかりを持つカバン 西 村  泰

巨匠の中でもピカソは極端な事例。そんなモノばかりを詰め込んだカバンの価値は言わずと知れるが、社会でも実生活でもこの類は少なくない。

12号より 冷蔵庫いっぱいにして夕焼ける 橋本 祐子

冷蔵庫いっぱいの食料は、欧米化した豊かな物質文明の象徴だった。「イギリス病」の語はもう黴が生えたが、夕焼けは日本にもワタシにも迫る。

12号より 日溜まりを頒ける木立の痩せ我慢 牧内ヨシ江

日溜りを我がモノ顔に独占し天を目指した木立。これも搾取するに足る満足した蟻の存在なくしては砂上の論だ。いよいよ木立にも自覚の時代だが。

12号より デフレ・インフレ大きくなってゆく結露  斎藤 光子

成長期の社会情勢や国家経済は遠い存在であったが、庶民を巻き込んだここの処の経済情勢は、国家にも私の背にも明確な結露として顕れてくる。

11号より まっすぐに星雲落ちて二人称 平井ヒロユキ

宇宙空間でも星雲がブラックホールに落ちるという現実もあるようだが、ここでは、作者の心の闇に。一瞬その煌びやかな星雲の残像からあなた。

11号より 真っ白なマスクをかけるスケジュール 斎藤 光子

新型インフルエンザの猛威? は、日増しに生活圏に迫っている。はじめはインフルエンザ対策の為と思ったものが、今は現実逃避のマスクにも。

11号より 現実を飲めば砂漠になってゆく 橋本 祐子

現実に生きていながらも、あまり現実を直視せず、今を生きているのが現実だろう。しかし、現実を直視し自らの一部とすると、そこはもう砂漠。

10号より 飴玉が犇めき合ってカチッと割れ 諏訪 夕香

外目には綺麗な飴玉。一個だけの存在なら何も起こらぬが、これが小さな袋で犇めくと、そのストレスで音を立てて割れる。飴玉こそ一人一人だ。

10号より 絆しがらみコンニャクの裏表  橋本 祐子

人間社会の絆やしがらみは面倒でもあり大切でも。これを説明するのは難しいが、何に譬えるかでコトバは集約できる。蒟蒻の裏表とは言い得る。

10号より あれこれを枕に埋める馬の耳 牧内ヨシ江

「馬耳東風」「馬の耳に念仏」とは馬に対して酷いが、そんな譬えの馬の耳であっても、寝際に枕へ埋めるべきモノがある。自嘲から普遍へ。

9号より 煮え切らぬ豆が照れてるふきこぼれ 牧内ヨシ江

句の前景は、煮え切らないうちに吹き零れた鍋。だが、そこに読取れるのは煮えきらぬ態度のニンゲンであり、照れ隠しに笑うしかない豆(ヒト)の姿である。

9号より 何もかも見ていてキリン語らない 高瀬 輝男

キリンの視野は鳥を除けば随一だろう。そのキリンが何もかも視認していながら語らないのは臆病か智慧か。このキリンはニンゲンの姿でもある。

8号より 苦も楽も主役のお膳一基ずつ      西村  泰

日常に非日常を見出だす目は、思わせぶりな詩性より詩的です。目の前のお膳に発見した「苦楽の主役」という位置づけに深い人生観がみえます。

8号より 遠き日は縄のリズムで粥すする     平井ヒロユキ

やや古いたメタファ、レトリックだが、やはり「縄」という存在に絡みついた多くのイメージが「遠き日」への心の飛翔に共感を誘います。

7号より 春はどこから ハンドルのあそびから  橋本 祐子

春という季節の本質を軽妙な比喩で。十七音の世界では説明は最大の悪。句渡りのリズムも「から」のリフレインも気持ちよく軽みで伝わってくる。

7号より ひたひたと揉み手で迫る鍵の穴     牧内ヨシ江

誰にも何事にも鍵穴はある。そこを擽れば大抵は道が開ける。しかし、鍵穴の方から揉み手で迫ってくる状況は、現代社会の怖さが垣間見える。

                   

 

inserted by FC2 system